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ひろしま Comments (18)
さながら地獄絵のような原爆投下直後のシーン。息子を必死で捜す加藤嘉が迫真の演技だ。疎開から帰ってきた息子遠藤幸男は孤児となり、必死で生きるが、キャバレーのバイト、学校を辞め工場の仕事をするが、砲弾を作ることにやりきれなくなる。骸骨をアメリカ人に売ろうとするが警察につかまり、そこで叫ぶ反戦メッセージが涙を誘います。
ストーリーとしては繋がりもはっきりせず、映画としてより学校で集団鑑賞する原爆ドラマといった感じですが、ゴジラの伊福部さんの重苦しい音楽とともにずっと心に残る映像でした。戦争を肯定する愛国心を謳う人たちに是非見てもらいたいものだ。
僅か8年後に製作された意欲作ながらも、そのリアルな描写や痛烈なメッセージで長年お蔵入りされた伝説の名作。
この作品の存在は知っていたものの、そういった経緯からなかなか見る事が出来なかったが、この度Eテレで放送。
ばっちり録画し、身を引き締めて鑑賞。
まず見て衝撃だったのは、戦後74年経った今なら未だしも、1953年の時点であの悲劇が早くも風化されつつある事。
平穏な日常を取り戻し、アメリカと交流を深める。それは悪い事ではない。が、あの悲劇の事が忘れ去られるのではないかと危惧する声…。
東日本大震災と通じる。
しかし、決して忘れ得ぬ人たちが居た。
被曝者、身体に一生消えぬ火傷を負った人たち、後遺症に苦しむ人たち…。
広島のとある高校で一人の女子高生が、原爆投下時のラジオを聞く授業中に突然、鼻血を出して倒れる。当時の事を思い出したショックを受けてと思いきや、原爆の後遺症で白血病を発症し…。
先に“僅か8年”と書いたが、今度は8年を経て。
突然今また我が身を襲う。何故、今また、今尚、苦しみ続けならねばならないのか。
人々の脳裏に蘇る、“あの日”…。
1945年8月6日。
暑いいつもと変わらぬ日…の筈だった。
何処からともなくB29の音が聞こえ…
それは一瞬だった。
彼らの日常が、彼らの知る町が、一瞬にして消え去った。
火の海、焦土と化し…。
服はボロボロ、痛ましい火傷や傷、呆然と放心状態でさ迷う人たち…。
もし、本当に地獄という世界があるのなら、この惨状の事を言うのだろう。
現在の技術を駆使すれば、溶けた肌、生々しい火傷跡や流血など、もっと目を背けたくなる描写になるだろう。
が、規制の厳しかった当時としては、よくぞここまで! 寧ろ、充分。恐ろしさが伝わってくる。
生徒たちを連れて彷徨する先生。
子を探す父。
家の下敷きになり、火が迫る妻を見捨てなければならない夫…。
特に胸が苦しかったのは、子供たち。
泣き叫びながら親を探す火傷を負った幼い子供。
息絶えた親の亡骸に泣きつく子供。
小学校で校舎の下敷きになった生徒たち…。
この子供たちが、何か悪い事でもしたのだろうか!
胸苦しいと共に、憤りすら感じた。
原爆体験者の手記『原爆の子』を基に、1952年の新藤兼人監督作とは別に製作。
関川秀雄による本作は、ドキュメンタリータッチ。戦争や原爆を知らない今の我々に、その恐ろしさを衝撃なまでに焼き付ける。
それをさらに説得力強くしたのが、実際の被曝者や体験者も参加したという、約8万人以上にも及ぶ広島県民によるエキストラ。
あの迫真さは演技ではない。真実なのだ。
その他印象的に感じたのは、伊福部昭の音楽。
本作の音楽が、この翌年に氏が手掛け代表作となる『ゴジラ』で、破壊し尽くされた東京の惨状シーンに掛かる音楽と酷似。
これは単なる使い回しや引用ではない。
本作でも『ゴジラ』でも、悲劇に見舞われた人々の悲しみや哀悼を、音楽で一貫した訴え。
重厚で、格調高く。
いつぞやジェームズ・キャメロンが原爆投下の映画を作る企画があったが、結局中止に。
結果的に良かったかもしれない。
原爆投下は戦争早期終結の為の必要悪。二重被曝者を嘲笑。破壊する/潰すを比喩した“ナガサキする”発言…。
軽視するアメリカに、作って欲しくない。
日本人でなければ絶対に作れない。
日本人でなければ絶対に伝えられない。
日本人でなければ絶対に訴える事は出来ない。
草木も生えないとまで言われた被曝地。
が、種が芽生え、復興を遂げ、人々や子孫が生き暮らし続けている。
愚かな原爆などで、死に絶えるものか。
反戦・反核、平和への祈りの中心地。
絶対に忘れてはならない、風化させてはいけない。この悲劇を、この苦しみを、この声を、この訴えを。
広島そして長崎から、世界へ。当時も、今も、この先も永遠に。
ピカッ!ドーン!で何気ない日が一瞬で地獄に。原爆投下直後の広島は現実なのか夢なのか訳がわからない。泣き叫ぶ人たち。発狂する人たち。焼け野原に無数に横たわる焼け焦げたミイラのような人たち。手や足が無かったり傷だらけで街をさまよう亡霊のような人たち。犬や猫、馬や鳥たちも同じように無残な姿。そして追い討ちをかけるかのような不気味な黒い雨。この世の出来事とはまず思えないだろう光景。それは正に絵でしか見たことのない地獄。恐ろしさしかない。爆撃、爆風による身体の強烈な痛み。錯乱、発狂している目の前の世界。一体何が起こっているのか訳がわからなかったと思う。自分の頭がバグったのか?目の前の世界が壊れたのか?一瞬で地獄に連れていかれたのか?はたまた只の悪夢なのか?判断がつかなかったと思う。平和な時代に生まれた自分には知り得ない苦痛。平和な時代に生かされていることに感謝。
軍国主義だった当時の日本の狂気的な政治(国民への虚偽、洗脳、強制、同調圧力などは朝飯前)。戦後の健常者たちによる被爆者たちへの差別の実態。科学が追いつかず理解してもらえない原爆後遺症者たちの苦痛と孤独。原爆孤児(ストリートチルドレン)達のリアルな生活。何もかもを至近距離で見ることが出来てとにかく生々しくてリアル。当時の世の中の様子を見ることの出来る貴重な作品。被爆地広島の惨たらしいリアル。
これは、あまりにリアルで中々にテレビとかでは無理でしょうが、これこそ原爆の現実を伝えている映画です。
戦後8年以上経ち、復興も進む広島の高校?で、一人の女生徒が倒れる。そこから原爆による後遺症の被害が浮き彫りにされて行く。
そして8月6日の一日が描かれる。
原爆が炸裂する直前の淡々と呆気なく起こるところや、短いながら強烈な破壊シーンを経て、生き残った人々の悲惨な姿が数日に渡って描かれる。
火傷を負い、廃墟を彷徨う人々や川の流れに消える多くの女生徒達。死に満ちた病院。
当時の混乱も整理されているのでわかりやすく進み、メインの遠藤一家の父親を演じる名優加藤嘉や山田五十鈴も流石の演技でこの惨劇を写す。
そこから冒頭の学生達の時代までの広島の状況を見せ、原爆孤児や朝鮮戦争の影、警察予備隊や広島に観光で来るだけの無関心な人など、次の戦争への脅威を警告する辺りも当時の世論の動向が見える
最後の広島市民の大行進と亡くなった人々のオーバラップも反戦へのメッセージとして響く。
監督の関川秀雄作品は「超高層のあけぼの」のみの鑑賞しているが、どちらも切れ味のある誠実な演出で、見応えがある。
背景の美術やセットも力が入っていて見応えがあるし、アメリカの会社がリマスターした映像もとてもクリアになっていて見やすい。
正直、日教組主体で、製作された映画なので、変な主張があるのかな?と思ったが、当時に判明した事実をキチンと紹介して分かりやすく描いている。
いい意味で教科書のような良い映画。