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うみべの女の子 Comments (20)
主演2人と原作者が舞台挨拶で「若い方に是非観て欲しい。」と語っているのを見て、若くないのに観に行ってきました。(こういう卑屈な人間にぴったりな映画だった気がします。)
小梅が三崎先輩達と海に行くくだりはとても辛く、怖くてしばらく目をつむってしまい、なぜこんなの若い人達に観て欲しいと語っていたのか考えました。以下主観。
・小梅はセックスしても劇的に垢抜けることはなかった。
・ちゃんとコンドーム出てきた。
・セックスするのに同意を得ていた。
というところだろうか?
セックスは美しいもんではない。「かぐや様~」とか観てウキウキした後、観るとガツンと来るだろう。(雨天だともっといい。)
「小梅、なんであんなクズ三崎と!?なんで磯辺に執着!?」と思う方もいると思いますが、小梅は両方とも好きじゃなく、自分をただの穴だと思いたくなかっただけ。後は自分がかわいいから二人に性的興味の対象にされたと思いたかっただけ…だと思います。あっさり「うみべの女の子」に磯辺の心持ってかれて、あ~。やっぱりってなるわけですが…。(橋本環奈ちゃんにはわかるまい。)
「もっと早くお父さんと話し合ってれば。」
「もっと早くうみべの女の子に出会っていれば。」
のんきな高校生として楽しいハッピーエンドだったんだろうけど、そうならなかったところが良かったのかな。
青春と呼ぶにはまだ早い、恋愛とか付き合うとかもまだよくわからない14歳の思春期の男女。それぞれの心の隙間を埋めようとするかのように体を求め合うが、孤独や罪悪感は消えず、相手への感情をこじらせてゆく。ことに及ぶまでの経緯は特殊でも、関係を持った男女の心の機微が普遍的なものとして伝わってくる。
原作に負う部分が大きいのだろうが、独特のひねりも映画に奥行きを与えている。海辺の町に台風が来る場面で流れる、のんびりとした「風をあつめて」の対位法的効果。“うみべの女の子”とは小梅のことかと思いきや、磯辺が拾ったSDカードの画像に写っていた女性に付けた呼び名だとか。
小梅の親友役に扮した中田青渚も好演だが、「君が世界のはじまり」「街の上で」に比べて魅力が十分に伝わっていない気がしたのは、台詞が関西弁ではなかったせいもあるか。今まで主人公とちょっといい感じになる女の子の役や親友役が多かったが、そろそろ主演作が撮られてもよい頃合いではなかろうか。
猿のように交わる中学生。そこに愛はなく、その瞬間にだけは相手に求められているという生身の欲求を感じ、自分の存在感を確かめるかのような性欲の発散行為である。
普通の女の子だった主人公、悪い先輩に憧れてしまったが為に嫌なことをされ、その記憶の上書きをするかのように前に自分を好きだと言った男の子と深い仲になっていく。お互いの体だけを求め合う関係性も初めは居心地が良かったが、感情は思うようにコントロール出来ず、嫉妬からすれ違いを生じ疎遠になってしまうが、自分の気持ちに気がついてしまった彼女の想いはもう止められなくなっていた。一方、相手の男の子も過去の呪いの決着をつける時が近づいていた。
と、記憶を整理しつつクライマックス前まであらすじを書いてみたが、このストーリーはあって無いようなものだと思う。特別な夢を描くことも許され無い田舎の中学生が思春期に何か生きている証を残そうともがきながら多感なこの時期を乗り越える成長の記録である。多くの人が経験し、通過してきた、この世にいくつもあるストーリーのひとつである。
結局、友達と同じ高校に進学した女の子と多分ある場所に行っているであろう男の子も、その後は日常の景色の一部となって人生を送るのであろう。
特別なような普通なような、今時の田舎の中学生の記録映画でした。
そうそう、死のうと思っていた男の子、ある出会いをきっかけにコロッと考えを改める訳だが、男などそんなもんである。
想定外で劇場が混んでた。
猿楽町であいましょうや街の上でを見た人はみんな来てるのかな。
原作未読なのでなんで問題もない円満な家庭の中1女子がしたいしたいなのか口でするとかそっちじゃないとか詳しすぎるし最後まで解決出来なかった。
心の空虚を埋めるため?
初潮の描写かと思えば破瓜らしいしなんで自分の身体を大切にしない?
男は男でクズしかいないし。兄がイジメで自殺したから自堕落で許されるのか?
個人的には原作飛び出して小梅(+中田青渚さん)の20代になった青春群像描いた続編が見たい。