屋根裏のポムネンカ
プロット
日本・チェコ・スロバキア合作
Aug,01 2009 EN LOS CINES
屋根裏のエイリアン
プロット
アメリカ
Jan,01 1900 EN LOS CINES
屋根裏のラジャー
プロット
日本
Dec,15 2023 EN LOS CINES
屋根の上の女
プロット
スウェーデン
Jul,04 1990 EN LOS CINES
屋根(1956)
プロット
イタリア
Jan,15 1957 EN LOS CINES
巴里の屋根の下
プロット
フランス
Oct,15 2021 EN LOS CINES
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熱いトタン屋根の猫 Comments (5)
原作を読んだ印象では、主役夫婦二人が
心の闇を抱えているのだがそれも含めて
魅力的に感じていた
だが、映画版になると
何となく、鼻につく
何でだろう、スキャストのスター性が邪魔してるのかな……
ブリックは足を怪我していて以来現役を退き、今では飲んだくれのアナウンサー。夫婦関係が冷え切った理由は途中まで明かされなかったが、親友のスキッパーが自殺してから妻を疑うようになったからだ。
兄は弟だけ可愛がる父親が嫌いだったが、莫大な遺産を相続する権利を主張する弁護士でもある。ブリックは人生に投げやりで、財産なんて要らないとうそぶく。家族たちのウソが嫌で大邸宅から逃げ出そうとしたブリックだったが、止める父親につい余命のことを口走ってしまい、父親は地下室に閉じこもってしまう。そしてブリックとビッグ・ダディとの会話が本音で話し合うところがいい!一文無しから大農園という帝国を築き上げたダディ。旅行鞄しか残さなかった貧困労働者の父を恥ずかしく思っていたが、本物の愛があったことを知らされる・・・
嘘で固められた家族に再び絆を取り戻したような内容だったが、面白いのはグーパーの妻(マデレーン・シャーウッド)が相続の取り分に固執する厭味ったらしい女を演じていたこと。最後には「妊娠してるの」と明らかな嘘をつくマギーがとてもいい。「愛は金で買えない」なんて当然のことに気づくのもアメリカならではだな。
いろいろと調べてみると、ブリックとスキッパーの関係は同性愛だったこと。これが曖昧にされているため衝撃度も少ないのだが、後半の展開はそんなことを忘れさせてくれる。
ストーリー: 60
キャスト: 75
演出: 45
ビジュアル: 70
音楽: 65
一つの家でひたすら続く科白の言い回し。映画というよりは舞台を見ているようだと思ったら、やはり元々は人気舞台作品の映画化だそうです。
物語は基本的に科白で語られる。彼らの過去も現在のしがらみも憎しみも愛情も何もかもが科白で表現される。もちろん表情や行動による表現もあるのだが、やはり舞台をそのまま移植したという印象が強い。劇中の殆どの時間が、憎しみや嫉妬や、そのような負の感情をずっと喋り続けることに費やされるため、聞いてて気分のいいものではない。せっかくの映画でどんな表現でもどんな映像でもできるのに、ひたすら科白を喋り続ける。とりたてて舞台が好きでもない私としては、それほど好きな演出でもなかった。
当時は無理だったのでしょうけれど、ポール・ニューマン扮する夫がゲイであることをハッキリ描けばもっとスッキリした映画になったでしょうに。俳優陣はみんな好演(エリザベス・テイラーでさえも!)
「エルマー・ガントリー」
「プロフェッショナル」を観た延長で鑑賞。
先ず気になったのは、
南北戦争から随分と時間を経た時代でも、
黒人差別が続いているような
描写には驚かされたが、
それが原作者や監督の
特別な意図に基づくものなのか、
或いは南部のその時代の単なる状況描写に
過ぎないのか私には不明だ。
さて、作品名の「熱いトタン屋根の猫」の
意味はすぐに話の中で語られたものの、
夫婦愛がどう回復されるかに注目して
興味深く観た。
最終盤、
それぞれの価値観は違ったままではあるが、
親子の徹底した話し合いの結果、
親子間だけに留まらず、次男夫婦間でも
誤解の解消とお互いの理解に到達する。
ただ、この作品、テネシー・ウィリアムズの
原作に起因しているのかは分からないが、
例えば、
次男の妻を拒絶する原因があるはずなのに、
その究明の不徹底さと
彼女との生活の絡みとの不自然さ、
また、
父の封建的家長像と
次男のリベラルな思想的人間像、という
思想の異なる二人の典型的な描写の中で、
徹底した話し合いの結果ではあるものの
簡単にお互いの理解に到達させる唐突さ、
等々、映像作品としては
説明不足やデフォルメが効き過ぎた
不自然さに抵抗を覚える。
最近、
映画ではなく原作本を読むべき物語として
「老人と海」をこの映画.comで記したが、
この作品の場合も映画としてではなく、
抽象化に長け、デフォルメ化が有効な
舞台劇で味わう物語なのだろうと感じた。
総じて、
同じテネシー・ウィリアムズ原作作品
「欲望という名の電車」のようには映画化が
成功していなかったように思えた。
ところで、私は俳優を重視して
映画を観るタイプではないのだが、
父親役のバール・アイヴスは印象的だった。
彼はこの作品と同年公開の「大いなる西部」で
溺愛するが故に息子を射殺する父親を演じて
アカデミー助演男優賞を受賞している。
元々フォーク歌手ながら、
たくさんの映画にも出演したものの、
この2作品を上廻るような映画に
出演することはなかったように思える。
最近、同じことを「或る夜の出来事」の
クローデット・コルベールにも感じたが、
俳優人生を一瞬だけ輝きを強く放つ人も
いるのだなあ、と感じさせる一人となった。
さて、
この作品では、義父と夫の葛藤と比較すると
影が薄く感じたエリザベス・テーラーだが、
私の観たい作品リストに
たまたま彼女の出演作品が並んだので、
ダニエル・マン監督の「バターフィールド8」と
マイク・ニコルズ監督の
「バージニア・ウルフなんかこわくない」を
近々鑑賞予定。
より存在感のある彼女を観れることを
期待したい。